同志社150年の歴史をたどる #2

同志社150年の歴史をたどる #2

ONE PURPOSE 2023夏号の巻頭『150年の歴史をたどる #2 人物』では、同志社大学設立に至る歴史の中で3人の人物との出会いがあったと紹介しています。以下はその抜粋です。

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明治維新に先立つこと4年前。新撰組による池田屋事件があった1864年に、日本の将来を憂え、国禁を犯してまでアメリカに渡った新島襄は、函館から密出国し、上海からワイルド・ローヴァーというアメリカ船でボストンに上陸しました。
このワイルド・ローヴァーがひとつ目の転機でしょう。その船主アルフィーアス・ハーディ氏が彼の『脱国の理由書』を読み感銘したことによって、ハーディ氏の母校のフィリップス・アカデミーや彼が理事を務めていたアーモスト大学に入学させる等物心両面で支えてくれたのです。

新島はアンドーヴァー神学校で宣教師の資格取得後帰国。
京都府議会議員(初代議長)として初期の京都府政に貢献し京都府顧問に相当する役割を果たしていた山本覚馬氏らの支援で京都市で学校設立の認可を受け、旧薩摩藩邸跡地を学校用地として譲り受け、同志社英学校の設立に至るのです。これがふたつ目の転機と言えます。
山本覚馬氏は『同志社』の名付け親でもあります。

その後も私立大学の設立に邁進する新島は、同志社英学校を中退後ジャーナリストとなった徳富蘇峰氏の協力を得て、『同志社大学設立の趣意』を全国の新聞に公表。新島の死後、彼の宿志を受け継いだ教え子たちによって同志社大学の設立に至ったのです。徳富蘇峰もまた新島に転機をもたらした人物と言えるでしょう。

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文責:HP担当 藤原

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